マンガ原作がネーム形式で求められる理由

 

かい
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マンガ原作を募集している雑誌ではネーム形式が募集条件になっている雑誌が大半です。

シナリオ形式(ネーム形式以外)で受け付けているのは、上記記事では講談社の「THE GATE」とKADOKAWA アスキー・メディアワークスの「電撃コミック文庫」くらいです。

今回の記事は、応募作品をネームで求めている理由について紹介します。

 

イメージを共有する

まず最初の理由は「イメージを共有する」ためです。

「1枚の絵は1万字に勝(まさ)る」と言われるほど、絵は言葉よりも意味を伝わりやすいです。

キャラクターの外見や動きなど、言葉では通じにくい場合でも、ネーム形式で原作を描くことで、原作者の持っているイメージや意図を正確に作画担当に伝えることができます。

もし原作者と作画担当の間で認識のズレがあると、話の展開の大きな影響を及ぼすことがあります。

例えば、ボクシング漫画の金字塔『あしたのジョー」でも意図しない結末になった話があります。

体格の優れたジョーのライバル、力石 徹(りきいしとおる)が、ジョーと戦うために限界を超えた減量を行いました。その影響もありジョーとの試合後に握手をしようとして倒れ、そのまま亡くなってしまいます。

作画担当のちばてつや先生によると、力石は元々死ぬ予定ではなかったそうで、初めてマンガに登場する際に原作者の梶原一騎先生が「ジョーが力石を見上げる」という記載をしていたために、ちば先生が「力石はジョーよりも背の高い大男」と思い込んで描いてしまったそうです。

そしてウェイト制であるボクシングは、体格に大きな差があると戦うことができなくなるため、力石が減量する展開になり、その結果として死んでしまうことになりました。

あまりに嘆き悲しむ読者が多かったため、連載していた「週刊少年マガジン」の発行元である講談社の主催で、力石徹の葬式が実際に執り行われるなど、非常に大きなインパクトを与えました。

ページ数を考えたコマ割が出来ているかをみる

マンガ雑誌がネーム形式の募集をする2番目の理由は「ページ数を考えたコマ割が出来ているかをみる」ためです。

マンガの原稿は1話当たりのページ数は雑誌によって決まっていて、少年ジャンプなどの週刊誌では大体18~19ページで、月刊誌であれば36~48ページ前後が多いようです。

昔は製本技術の関係もあり、8の倍数で8,16,24,32ページなどが多かったそうですが、最近ではそんな制限は無くなったようですね。

そんな話はともかく、1ページに4~6コマが描かれるので、平均5コマとして、仮に20ページの作品を描く場合、全部で100コマの中で話を完結させる必要があります。

しかし、最初にマンガの話を作り始めた頃は、思いついた話をドンドン詰め込むため、制限のあるページ数内に収まらないことが多々あります。

そのため、ネーム形式で原作を描かせることで、原作者自身にページ数内に収まる話を作ることを促します。

またさらには、「めくり」と呼ばれる、左下のコマに次のページをめくりたくなる「引き」を入れたり、迫力のあるコマは見開きページの右上や左上に置くなど、演出も考えて話を展開できているかなども、ネーム形式であれば一目でわかるようになりますので、ネーム形式で原作を募集している出版社が多い理由の一つです。

編集者がネーム形式に慣れている

そして最後の理由は「編集者がネーム形式に慣れている」です。

編集は日々多くの原稿を読みますが、そのうち約半分はネーム形式だそうです。

完成原稿で読むのは担当するマンガ家から原稿を受け取った時や、投稿・持ち込みの審査をする場合、自社や他社の連載している漫画や読み切りを読むためなどで、それ以外は連載中の作品の打ち合わせでネームを読んだり、連載を目指す担当漫画家の描いてきた連載用のネームを読んでいます。

「バクマン。」の2巻で、主人公の真城最高(ましろもりたか)と高木秋人(たかぎあきと)が、初めてマンガを持ちこんだ時の担当編集者である服部さんは、マンガを読むのが非常に早いエピソードが描かれています。

また同じく漫画家マンガである島本和彦先生の「アオイホノオ」の3巻でも、小学館とSA社(おそらく集英社)に持ち込んでいますが、その両方の編集者は「まともに読んでいないんじゃないか?」というくらいのスピードで読むシーンが描かれています。

毎日多数のマンガ原稿とネームを読む編集者にとって、時間短縮のためにもスピーディーに作品を読む事は非常に重要です。

そのため、完成原稿でない原稿を受け付ける場合、小説やシナリオ形式では編集者が慣れておらず、読むのに時間がかかってしまい、多くの作品を読むことができないため、ネーム形式での募集を行っているのだと思われます。

まとめ

編集者兼マンガ原作者の竹熊健一郎さんによると「1990年代ではネーム形式の原稿はタブー」だったそうです。

それまでは月刊誌や増刊号が基本だった漫画雑誌業界が、週刊少年サンデーを皮切りに続々と週刊誌が創刊され、マンガを描き上げるまでの時間がどんどん短くなって行きました。

そして漫画家がストーリーを考える時間がなくなったため、小説家やシナリオライターなどに話の構成を依頼したのがマンガ原作者の始まりです。

そのため元々小説家だった梶原一騎先生は、小説形式でマンガ原作を書いていますし、『子連れ狼」の小池一夫先生は、シナリオ形式でマンガ原作を書いています。

最近ではネーム形式のマンガ原作が増えているそうですが、そのきっかけは週刊少年ジャンプで連載していた『ヒカルの碁』のほったゆみ先生がネーム形式で原作を作ったため、それが広がっていったと言われています。

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