松本零士先生 お別れの会 @東京国際フォーラム

かい
かい

2023年6月3日に東京国際フォーラム(有楽町)で開催された、「松本零士先生 お別れの会」で献花してきました。

会場外

6月3日(土)14時から開催予定で、開始時間から30分ほど遅れて会場(東京国際フォーラム)に到着したのですが、会場外に行列が出来ていました。

会場に向かうエスカレーター前の告知ボード

待機スペース

お別れの会の会場は人数制限をしているため1階下のフロアに待機スペースが設けられていました。
そこでは、松本先生の写真や作品などが映像で流れていました。

小学生時代に描いた作品「ドラゴンタイガー」
本名の「松本晟(まつもと あきら)」の記載があります。
発行日として1949年8月16日の記載がありますので、11歳(小学5年生)の時の作品になります。

1953年(昭和28年)に北九州漫画集団より発行と書かれた「冒険記」。
15歳の時の作品ですが、非常にレベルが高い仕上がりの作品です。
作風に手塚治虫先生の影響が感じられます。

1954年(昭和29年)に学童社の発行していた「漫画少年」の新人賞を獲得し、商業誌デビューを果たした「蜜蜂の冒険」

作品だけでなく、小さい頃の写真なども公開されていました。(松本先生は前列真ん中)

会場

45分ほど待って、やっと会場に入ることが出来ました。

祭壇

ピアノの生演奏もありました。
もちろん「銀河鉄道999」など松本先生の作品の主題歌が演奏されていました。

祭壇前の献花台
献花用の花は入り口で配られたので、各自用意する必要はありませんでした。

正六位に叙位されています。

供花された方々の名前が公開されています。

「銀河鉄道999」を再現したフォトブース

「遠く時の輪の接する処で再び巡りあえる」は、松本先生が生前よく言っていた言葉だそうです。
その言葉が掛かれた看板。
この絵のポストカードが会場を出る際に配られていました。

会場出口横に設置された「銀河鉄道999」の座席を再現したフォトブース。

松本先生愛用のキャップと眼鏡、ペンと工夫満載のオリジナルペン立ても展示されていました。

かい
かい

銀河の海に旅立たれてしまい、本当に残念です。
もっと先生の夢にあふれた作品を読みたかったです。
先生のご冥福をお祈り致します。

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